奇数が吉数なのに、なぜ「八幡宮」や「四方拝」と偶数が出てくるのか?
八幡宮とは、八幡の神さまを祀る神社でして仏教でもなければ、道教でもありません。仏教と道教が一致したような神さまが八幡宮なんです。もともとは山岳信仰でして、法螺貝を吹いている修験道とも繋がりが深いのが八幡さまともいわれています。
本宮といわれているのは宇佐八幡です。宇佐八幡がスタートなのですが、それからあちこちに八幡宮が広がっていきまして、鎌倉時代(1200年頃)は、八幡宮は、武人、戦の神さまといわれていました。武士というのは四方八方から、自分のミを守らなければいけないわけです。なぜ八幡なのかという由来は非常に難しいのですが「八」という発想は四方八方というのがあって、相撲の「八卦よい」というのは四方八方の気がいいからスタートしようということです。
「八」というのは末広がりでめでたいという意味のほかに、四方八方の気がいいから戦をしてもかまわないというのが「八卦よい」です。武士の神さまとして、中央に武士がいたときに、中央の自分を含めて四方八方の気が充実していると戦に勝ちます。八方に自分を入れてたすと、九になりますので、決して偶数でまけるのではなくて、それを活用する自分がいて奇数に転じる、というのが推測ですが、多分まちがいないところだろうと思います。
なぜ推測かと申しますと、もうひとつのご質問の四方拝というのがあります。これは元旦の朝、天皇陛下が四方の神さまにお参りする、東西南北を巡るわけです。五行説というのは東西南北のど真ん中に必ず「中央」があります。この中央は、自分自身、天皇陛下自身です。
自分が中心となって、四方をお参りする。自分のいる場所は中央ですから、中央を加えてトータルで五行説が揃うということです。そういう意味で、偶数であっても、実は奇数に転じるのだとご理解頂きたいと思います。

中村嘉男氏(算命学総本校 高尾学館学校長)講演より
於:2001年7月18日 ホテル日航プリンセス京都