京都ではなぜ 弔問時の黒白の水引が黄色になるのか?
厳密な意味合いははっきりしていないのですが、推測がつきます。京都は天皇がずっとおられたところです。ほかの地域とはちょっと意味が違うところがあります。黄色は中央を意味します。
「ラストエンペラー」という映画をご覧になった方がおられると思いますが、満州国最後の帝王、愛新覚羅溥儀の物語です。子供の頃に友達が来て、なぜ黄色を着ているのだと聞かれたときに、「黄色は皇帝の色だ」と答えています。
あれは非常に意味がありまして、当時から黄色は皇帝しか着られなかったんです。中央、トップの色なんです。黄色を着る人は日本では少ないでしょうけど、土の色は茶色です。ですから、茶系統なり、黄色系統のものを好むという人は人を引き付けたい、引力本能を発揮したいところがあります。
フィリピンのアキノ大統領ですが、黄色をシンボルマークとしたのは、人を引き付けたいという気持ちがありました。黄色なり、茶色は中央の色で、人を引き付ける色だということです。
そういう意味では、天皇家は中央にいますから、中央として黄色というのは意味がありますが、もうひとつ神道においても意味する色があります。黄泉の世界というのは黄色い泉の世界と書きます。
黄色というのは神道のなかでは、あの世、浄土を表わしまして、これが黄泉の世界ということです。黄色と白を使うというのは、天皇家、あるいは神道の世界におけるお葬式という意味になると思います。
黒白でいきますと、道教といいますが、仏教の発想になります。北枕は仏教ですし、人間は死ねば北枕になり、肉体は西方浄土というのは仏教の考えです。そこに神道の考えの黄泉ということで、だから黄色と白を使っているだろうと思います。
京都は天皇家がずっとおられたので、とりわけその色を使ったのであろう、という推測です。多分、間違ってないだろうと思います。

中村嘉男氏(算命学総本校 高尾学館学校長)講演より
於:2001年7月18日 ホテル日航プリンセス京都